占いとは Part 1
イタリアはヴェネツィア、その街で貴方はとある扉を開いた・・・。(語り部のように文言)
ひとりかい?
さぁさぁ お入りよ。
おまえさんはどこの国から来たのかい?
きっと遠いところから来てくれたんだろうね。
まずは、そこにおかけよ。
自己紹介しておこう。
私の名前は宝 玉姫(たからたまひめ)不思議という魅力に惹かれながら、心地よい場所、楽しいことを探しながら生きている占い師といったところだね。
私は心がめっぽう不器用なほうだから、常に「心」という分野に注目してしまう。
この分野に辿り着いたのもそのせいだろうね。
私のこの格好で驚いたかい?1年に1度のカーニバル(謝肉祭)の時は、こうして仮面を被って衣装を見に着けて街を歩くのが習慣でね。
ここに来る間に仮面をつけて歩いている人に会ったんじゃないかな?
いつもなら特製カプチーノを出してあげるんだが、この格好で作るのはちょっとやっかいでね。
後で角のBarにいくとしようかね。
ここではその代わりといっちゃなんだが、玉姫美術館でも覗いていっておくれよ。
さて何から話そうかね。
そうそう今しきりに世の中で騒がれている「占い」というものが本来どういうものであるかということを話してみようかね。
おまえさんは占いと言われているものをしたことがあるかな?
世間では占いと言われているものは全て同じだと思われている。
イメージというのは恐ろしいね。
「うらない」この4文字に定着してしまっている独特なイメージ、これはもうどうしょうもない。
今では占い師となっているこの私も、四柱推命・易を勉強する以前は多くの人がイメージしているように、占いというものは全て同じようなものだと実際に思っていたもんだよ。
私がそうであったように、多くの人は占いがどういったもので、何に役立つのかを実際のところ知らないということだろうね。
街にいる裏寂れた占い師さんを横に見ながら、将来のことが分かるなら、あんな寒いところで不幸そうな顔をして座っていないで,自分を占って幸せになれば良いのに…。と、その程度にしか占いを見ていなかった。
その私が実際に占いについて研究したことを話してみようと思う。
これは盲目的な占い狂の話じゃないから安心して聞いていておくれよ。
占い師には大きく分別すると4タイプぐらいいるんじゃないかな。
1 占いが良く分かっていない盲目タイプ。
2 空論的なエネルギー論を語るタイプ。
3 学問として存在する信憑性の高い運命学を実践的に活用するタイプ。
4つ目はインチキ占い師だね。これが残念なことに数としては一番多いんじゃないかな。
「占い」を怖いと思っている人が多いから言っておくが、この話を聞いて怖くなることは全く無いから安心しておくれ。なんにおいてもそうだが、思い込みというのは人の心の扉を開き難いほど重くしてしまうもののようだね。
昔と違って今は忙しい世の中だから、なかなか普段の生活以外のことを掘り下げて考える機会がないだろう。
ましてや「占い」について詳しく知ろうなんて考える人は物好きか心理学者ぐらいだろうよ。
しかし世の中にはいい人ばっかりじゃないから、怪しい占い師に騙されたりしない様、在る程度の知識を持っていたほうがいいと私は思うよ。
多少の知識がなければどの占い師がインチキなのか、判断がつかないだろうからね。
「占い」は怪しい、迷信、怖い 気休め……。
はたして本当にそうなのだろうか。
TVなどに登場してくる占い師のイメージ像はパフォーマンス性が色濃いからどうしても特別なイメージが定着してしまうんだろうね。
たしかに怪しいもの。
ただの気休め。
恐怖をあおるもの。
色々と存在するのが実情となっているから、聞かなければ良かった…。
そんな経験が少なからずあると、占い嫌いになるのは当然だろうと思うよ。
しかし、それは不運にも見識の低い占い師に会ってしまったということなんだよ。
今日はステレオタイプ化された占いのイメージの先入観を解き放ち、柔軟性という心の扉を開いて聞いておくれよ。
占いとは何なのか?この話をしてみたい。
信憑性が在るのか?本当にただの気休めなのか?迷信なのか?怪しいものなのか?
私は自分が納得しないと前に進めない方だから、実際に色々と占いについて勉強してみたんだよ。
四柱推命、易、気学、人相、西洋タロット、方位、家相、姓名判断などを勉強してみてはっきりと分かったことがある。
「占い」というジャンルにまとめてはいけないのではないかと思う程、多岐に渉って色々あることを知った。
西洋タロットのように、貴族のカード遊びが根源で、次第に神秘性を帯びさせていったものや、人間学とも帝王学とも言われる学問が根底にある四柱推命や易などと、驚くほどに異なっているものが存在しているんだよ。
これは目が飛び出るほど驚いたね。
何も知らなかった頃は、西洋タロットも四柱推命も易も、占いというものは同じだと思っていたからね。
占いは全て同じじゃないんだよ。
占い師に言われたことは、なぜか心にいつまでも残ってしまうという人が多いからね。
知らないで重大な決め事を決断していたとしたら、大変なことなんじゃないかと、老婆心ながら心配になるんだよ。
前に私が鑑定した人から、こんな話を聞いたことがある。
その女性は涙ながらに語った。
〈「あんたの運命は、ドロ船に乗っているようなものだから、あんまりいいことはないだろうね」と、ある占い師に言われたのですが、そんなに酷い人生を辿るのでしょうか?その言葉が忘れられず、不安でしょうがないんです・・・〉と、いい年配の占い師に言われたんだそうだ。
全く、酷いことを言う人間がいるもんだよ。
世の中には色んな人がいるように、占い師にも色んな人がいる。
ただ、1人の占い師が言ったことを、お告げかのように考えないこと。
それが大切だよ。
それでなくとも今の時代は情報化社会だ。
しっかり情報の信憑性を図れる力を養っておかないと、情報過多による彷徨い人になるよ。
ここでは私が認めて選んだ「占い」四柱推命、易に限定して話すからね。
ひと言で言えば、空論ではなく、即実践に繋がり活用術となるものだ。
これら二つは古来より占いの最高峰とされている。
四柱推命は、統計的な、人間学が元になっていて、帝王学とも言われている。
易占いは、先人の叡智の終結された、人の道を説く易経が基にある易占いだよ。
信憑性の高さには、鳥肌が立つほどだよ。
やる気という感情を引き起こすには、特別な人からの愛ある言葉の次に、これ以上にやる気をみなぎらせる働きをするものはないと思うね。
そう感じたからこそ、私は占い師として活動しているんだよ。
“心の火種”になるものと言えば分かり易いかな。
ちょっと目をつぶり、私の話を想像してみてごらんよ。
夜の海、辺りは真っ暗闇だ。おまえさんはたった一人で船を漕いでいる。
だーれもおまえさんが夜の海にいることを知らない。
言い知れぬ恐怖が押し寄せてくる。
そんな時に、暗闇に浮かぶ仄かな灯りを見つければ、希望か生まれてくるだろう。
結局、心の揺るぎを解消するのに必要なのは、自分を信じる力の強さなんじゃないかな。
自分を信じて、希望を持って前進する他、納得のいく生は全うできないということだろうね。
まあ、そうは分かっていても、うぬぼれや自己顕示欲が強い人ばっかりじゃないからねぇ。
揺るぎない自信を持ち続けることや、心の火種を自分自身で焚きつけることは、決して簡単なことではない。
それを助ける役割を果たすひとつの方法、それがこの占いだよ。
人は、理解できないようなことが起こった時に、
必死に自力で何とか心のゆるぎを抑えようと努力するもんだ。
理解できないことを理解しようとしてね。
だが、結局はおまえさんの心は疲れきってしまうだろう。
私が長い間かかり、やっと気がついた方法。
それは、あまりにも単純だったね。
もしまだおまえさんが、絶対に間違わない解釈方法を知らないのなら、覚えておいたほうが良い。
世の中には自分には理解できないことがある、それを理解することだよ。
そんな単純なことって思っちゃいないかい?
そうは言っても心はそれ程単純じゃない。それが出来たら、とっくにやっているよ!
そんな声が聞こえてきそうだね。
まあ最後まで聞いてみなよ。
確かにおまえさんの言うとおりだよ。
心は厄介だね。形が無いから、おまえさんの心が傷だらけで包帯だらけでも誰にも見えないからね。
だーれもいたわっちゃくれない。
只今心リハビリ中とでも胸に貼って置けば話は別かもしれないがね。
こればっかりはしょうがない。心に形がないのはみんなおんなじだ。
じゃあ それにはどうしたら良いのか。
それには、おまえさんの心の揺るぎを全うできるものを探す事だよ。
この世に生を受けたんだ。この世に必ず存在すると私は思うね。
ここまで私の話を聞いてくれているおまえさんは、ちょっとしたことで心の振り子が動いてしまうような、心の感度の高い、とっても優しい人間だろうね。
何か、心が納得する理由付けさえあれば、考え方が変えられるもんだよ。
心は厄介のようだが、意外と単純なもんだ。
おまえさんにも経験があるだろう?
ほんのちょっとの一言で心にかかった霧が晴れたような経験が。
考え方ひとつで囚われていた思いを吹っ切る事ができる。
自分で重くしてしまった心の扉を軽くする方法その「きっかけ」だよ。
それさえ見つけられればきっと扉を開け前に進めるとは思わないかい?
誰か、心の揺るぎを全うする方法を教えてくれないか!?
そんなさまよいに、心が翻弄させられている暇はないよ。
人生は限られた時間しかないんだ。使える方法は何でも使ってみる事だよ。
占いは、心の揺るぎを全うするためのものさ。
心に灯りが灯れば、たった今という瞬間に集中できるようになる。
集中できれば、不安や恐れが忍び寄れなくなるんだよ。
占いとは Part 2
では四柱推命、易の核心にせまろう。
おまえさんは知っているかな?
人の人生にもそれぞれの季節があり、自分の春夏秋冬のようなものが巡っていることを。
占いの最高峰である四柱推命は難解な人間学を基にその季節を告げている。冬が来れば必ず春が来るように巡っているものだということを教えてくれている。
自分の流れを不思議な望遠鏡でみるようなものとでもいったらいいのかな。
何よりも、自分を客観的に見ることができ、自分を信じることができるようになるものだよ。
もう少し分かり易く言うならば、四柱推命というものは、ここが人生のトンネル、ここが転職にはいい時、ここが技量を磨くにはいい時期、ここが勉強するにはいい時期、ここが結婚にいい時期、ここが恋人、夫婦における正念場、いつになったらトンネルが明ける、
或いは自分を助ける色、自分を守る色、などという様々なことを推命学により推理する学問なんだよ。
その学問を元に占い師の推理力、判断力というフィルターを通し何を伝えたら良いかが変わってくる。
それ故に同じ鑑定結果というのはあり得ないということだよ。四柱推命は判断が同じであるという人は四柱推命を知らない人だということがそこで分かってしまうということだね。
読んで字のごとく生年月日からでたことを基にその人の命に役立つことを推理する学問、これに必要なことは同じ生年月日の人が世の中にいることからも分かるように、自分が今までどういう生き方をしていたかを占い師に話すことが必要不可欠になる。
似たような運気の流れを持っていた人が芸能界で活躍していこうとしているならばこういうアドバイス。
経営者ならこういうアドバイス。というように全く違ってくるはずさ。
鑑定に来て、当ててみな。
と言わんばかりに極力自分の事を話さずに、占い師の力量を試しているような人がたまにいるがね、全くのお金の無駄だということが、ここまで聞いたおまえさんなら理解ができるだろう。
それはそれで違ったエンターテイメントとして楽しめるものだから、それを望むなら私はいつでも受けてたつがね、本来はその鑑定に来た人にとってはもったいない話だということなんだよ。
しっかりとした力量のある見識深い占い師ならば、現状や立場や状況をしっかりと話すことの必要性を説明してくれるはずさ。
黙って座ればぴたりと当たる。
これは話題性は十分あるが、本当じゃないということだ。
次に易の話を詳しくしてみよう。
顕在意識では気付き難い、潜在意識を知るのに有効的だと私は思っている。
分かりやすく1つ例を挙げてみようかな。
来週取引先に新プロジェクトを提案しに行く日が迫っていたある部長がいた。
万事を尽くしてきているはずなのに不安でならない。そのことが心配で最近は夜もなかなか寝られずに胃の調子が悪くなっていた。
営業まわりの帰り道、いつもと違う道を曲がって歩いていると占いと書かれた円い赤い看板が目に飛び込んできた。
占いか……。
ごちゃごちゃ思い巡らしているのも腹立たしい!
このプロジェクトが成功するかどうか、思いきって聞いてみるか!
先を知らされるのかと怖さはあるものの、
磁石で引き付けられたかのように店に入ってしまったのだ。
占いのイメージといえば、
その存在自体が胡散臭いようで、心のどこかで否定さえしていた。
その自分が、
今こうして玉姫という名の占い師の前に座っていることが不思議でならなかったが、
まあ物は試し。
聞いてみるとするか。そんな心境でいた。
半年前からプロジェクトをまかされてというもの、
不安な思いを周りの者に語るわけにも行かず、夜は眠れず、
うなされて起きるのもしばしばだった。
手に汗を握り、心臓の鼓動は早まっていた。
「何としてでもこのプロジェクトを成功させたいのです。その為にはどこを見直したらいいのでしょうか?」
せきをきったように夢中で心の内を話した後、
問いかけておきながら、そのこと自体が異常のように思えてきたのだが、
同時に聞かずにはいられない自分がいた。
易による占断結果は、もっと自分を飾ることが必要である。そういうものであった。
「失礼を承知で申し上げますが、最近鏡を見ましたか?プロジェクトを成功させるそのキーは、自分を飾ることです。取引先に出向く日は自信に満ちた姿で行かなければ、あなたがこの6ヶ月精根尽きるまで作り上げた素晴らしいプロジェクトの価値が薄れてしまうと出ています。万事を尽くした貴方が今見直すべきところは、身なりを整え心にゆとりをとり戻すことが最も必要なことなのではないでしょうか。」
彼は忙しいあまり、ここ半年間床屋にも行かず、ワイシャツもクリーニングに出すことなくしわが寄り、靴は汚れ、爪の先は黒い汚れが入り込み伸びきっていた。
その鑑定の後、帰宅途中に床屋で散髪し、毎日通っていたが入った事のなかった近所の銭湯に寄ってから家に帰った。その夜は不思議とぐっすりと眠ることが出来た。
朝になり、久々にびしっとしたスーツに身をまとって出かけてみると、
昨日までは感じることのなかった朝陽を背中に感じ、不思議と尽くすだけのことは尽くしてきたんだ。
これで取引先が断ってくるようならば、縁がなかったまで。
いつか取り引きしなかったことを後悔する時がくるさ。
そんな思いが沸き起こり出し自信が心に満ちてきたのである。
これが本来の「占い」の役割というものだと私は思う。
その結果この部長はこのプロジェクトを成功できたが、しかし例えその取引先に受け入れられなかったとしても、この部長は自信を失うことなく、更なるやる気に満ち、そのプロジェクトの素晴らしさをしっかりと理解できる取引先を見つけることに違いない。
万事尽くしてきている者には、見かけを飾ることが必要であるという判断になる。
しかし、万事を尽くしてきてなかったものには、プロジェクトの内容をしっかりと充実させるという純粋な思いで心を飾る必要があるという判断になり、それはもう一度プロジェクトを見直す必要がある。
というように判断が変わることになるのさ。
状況+占い師の推理力、判断力が伴って初めて役立つということが分かってもらえたかな?
これが易占の一例である。
四柱推命、易とは、絵柄の分からなくなってしまった心のパズルの絵柄を見つけたり、パズルのピースを合わせるための手引きとなるようなものである。
だからこそ分からなくなってしまった自分の幸せ観を思い出したり、分からなくなってしまった自分を把握するために最も役立つものであると思う。
周りとの人間関係で上手く行かずに悩んでいる人の一番の解決策は自分を知ることなのではないだろうか。何がなくては幸せになれないと思う人は何があっても幸せになれない。
それが揃えば、また何かが足りないと思い、それさえあれば幸せになれるのにと言い出すだろう。
幸せとは、自分の心持ちによる心の平安さなんじゃないかな。
人の心はシンプルかつ複雑。自分でも自分の心が良く分からない時がないかな?
長いこと聞いてくれてありがとよ。
最後に、占いに対する科学的見解と、私の占い観を話して終わりとしようかね。
おまえさんは科学が万能と思うかね?
科学盲信者には占いを迷信という人が多いね。
科学の偉大さを見ながら育っているから無理も無いかもしれない。
だが、それは了見が狭いというもんだよ。
ここまで私の話を聞いてくれたおまえさんなら、もうちょっと柔軟性という心の扉を開けてみることができるだろうね。
それでこそ大物だ。
結婚相手を決めるのに、科学的に考える人がいるかね?
食べ物の好き嫌いを科学で図れるかな?
科学が役立つ分野と、そうじゃない分野があるんじゃないかな。
いつの日か、科学的にみて根拠を分析できる日がくるかもしれないが、その日が来るのを待ち、結果がでてから活用する人と、科学で証明されなくても活用してみる人とでは大きな違いが生まれてくるだろうよ。
占術と言われている四柱推命、易が、世の中の人々に役立たなければ、何千年という長い歴史に渡って活用され続けてはこないだろう。
世間の目はふしあなじゃない。とっくに消滅しているさ。
電気を発見した エジソンが、「電気とは何か?」と聞かれた時に「私にもそれが何かは良くわからない。だがとても便利なものなので私はこれを利用してみようと思う」と言ったそうだ。
私はこの考え方が大好きだね。
もし、エジソンが電気とは何かということを証明しようとしていたら、こんなふうに瞬時で繋がるインターネットなんて夢の夢な話だったことだろうよ。
四柱推命、易からどうしてそういう推理が成り立つのかは科学的には証明されていないし、それがなぜこれほどまでに的中率があり、人の心を心強くさせるのかは確かに不思議だ。
しかし、心の揺るぎ全うさせるにはこれ程役立つものはないと思う。
だから、私は活用し広めていきたいと思うのさ。
不思議だからこそ、この世界に惹かれたんだろうね。
これが私が占い師になった理由だよ。
世間では生活は豊かになっていくのと反比例するかのように、年々心療内科に心が真っ暗闇からぬけられないでいる患者で溢れてきている。
きっと心の火種を求めてきているんだろうね……。
心という不思議なものは、不思議なものを受け入れるのかもしれないね。
これが私の占い観だよ。
おやおや。随分と話しこんじゃったね。
おまえさんも喉が渇いただろう。
アドリア海を眺めながら、角のBarにカプチーノでも飲みに行かないかね。
私は海に浮かぶ街、このヴェネツィアがが好きでね。
ゴンドラにはもう乗ったかな?
この時間は、海からの風が冷たいよ。
寒くはないかい?